勝ちにこだわって何が悪いの?

小川です。

 

今回は、人狼ゲームに関して気になっているポイントを私なりの視点で書いていこうと思います。

 

テーマは人狼ゲームでもよく議論になる「勝ちにこだわって何が悪い?」と考える勢と「楽しんで何が悪い?」と考える勢についてです。

 

結構議題にあがることがありますよね。ここ1年、人狼ゲームに関わらせて頂いて、この両者の思想はイマイチ噛み合わないと言いますか、平行線を辿っている印象を受けています。

 

まず結論から書きますね。別に勝ちにこだわっても良いと思いますし、楽しんでも良いと思います。つまり私は、どちらの視点も正しいと思っています。各プレイヤーが、自分が求めている感情を満たすためにゲームに参加するのは、当たり前のことだからです。

 

しかし、そこで見落としてはいけない視点があります。それは相手を不快にさせたり怖がらせるのはNGということです。

 

人狼ゲームって、そもそも一人ではできません。相手がいてこそ、はじめて成立するゲームです。ですから、同村しているプレイヤーにはある程度の配慮が必要になります。

 

人狼ゲームには『クローズ村』というものが存在し、主催が来てほしいと思う人に直接声をかけて開かれる村があります。

 

主催する側も、当然ですが人間です。感情があります。気分良く人狼ゲームができる人を呼びたいと考えます。

 

極端に言うと、相手の気持ちを考えずに自分勝手にプレイをしていると、相手を不快にさせしまいます。結果ハブられてゲームにすら参加できなくなるということです(極端に言うとですよ)

 

主催側だけではありません。参加者も人間ですから、気持ちよくプレイできる人達とゲームをしたわけですね。

 

ゲーム中の発言で嫌な思いをした人は、予想以上にそのことを覚えているわけです。しかし、残念ながら言った本人は高確率で忘れています。ここで認識に大きなズレが生じてしまいます。

 

強弁や圧をかける、口調が乱暴になる、暴言を吐くなどをしてしまうプレイヤーは、自分自身では相手を不快にさせている自覚はなく、逆に言われた方がよ~~~く覚えているということです。

 

人狼ゲームをしていて「何が楽しい」かは人によって違うとは思いますが、ゲーム自体に参加できなくなるのは嫌ですよね。

 

そう考えていくと、相手を不快にさせてまで勝ちにこだわるのはナンセンスと言えるでしょう。

 

逆に相手にとって気分の良いプレイをしてると、発言も聴いてもらいやすくなりますし、有利にゲームメイクしやすくなると言えます。

 

ポイントなのは「自分と相手は別の人間」ということを理解し、相手の考えも尊重することです。全く同じ価値観を持っている人間は、自分以外に存在しないわけですから。

 

ただ、こうして偉そうに書いていますが、実際に感情をコントロールするのは難しいものです。

 

人間は大なり小なり「話を聞いてほしい」「認められたい」「意見を尊重してほしい」という欲求を本能的に持っています。

 

議論が白熱してきて、自分の意見が通らなかった時は本当に悔しいものです。そんな時は、つい悪態の一つもつきたくなりますよね。

 

しかし、そういう時こそ人としての器が試されます。

「次はどうやったら相手に伝わるか?」

「他に良い方法はなかったのか?」

と自分ごとになって改善していく。それが大切なのかなと思います。

 

私もゲーム中にカッとなったり、口調が荒れてしまうことがゼロではないので、常々気をつけていきたいですね。

 

あと、プレイヤーの思想によって村の雰囲気に「合う合わない」があります。ですから、自分のプレイスタイルに合う村に参加することをオススメします

 

初心者が多くなると、どうしても上級者がやるようなゴリゴリの議論をするのが難しくなります。

 

プレイヤーによってうまく住み分けをしていくのが、楽しく人狼ゲームをしていくコツなのだと思います。

 

合わない村に参加してフラストレーションを溜めるのは本末転倒です。そういう点も意識してゲームに参加されてはいかがでしょうか?

 

おがぴーより

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