「人狼ゲームはクソゲーだ」
正直に言うと、私はそんな風に思ったことがある。
私のことを知っている人は、まったくもって理解できないかもしれない。
さっぽろ人狼図鑑というYouTubeチャンネルの運営メンバー(一応プロデューサー)という立場で「人狼ゲームはクソゲー」と考えているなんて理解しがたいと思う。
実は、気づいていない人も多いが、人狼ゲームは厄介かつ恐ろしい一面を持っている。
ある特定の条件を満たしてしまうと、楽しい楽しい人狼ゲームもクソゲーへと変貌を遂げてしまうのだ。
ポケモンで例えると『リザードン』から一気に『ヒトカゲ』に退化するようなものである。その落差たるや半端ではない。
今回の記事では、人狼ゲームをクソゲーに変えてしまう”ある特定の条件”。そして、その条件がクソゲーに変えてしまう本質的な理由まで解説していく。
大げさに聞こえるかもしれないが、人狼ゲームには人生全般に通じる本質的なものが詰まっていると思っている。
人狼ゲームに限らず、今後の人生においても重要なことだと思っているので、ぜひ今回の要点を押さえていただきたい。
人狼ゲームをクソゲーにしてしまう”ある特定の条件”
では早速、人狼ゲームをクソゲーに変えてしまう『ある特定の条件』とは一体なんなのか?
それは「嫌いな人と同村する」という条件である。
この条件を満たしてしまうと、人狼ゲームはまたたく間にクソゲーへと変貌を遂げる。
答えを言う前に、なんとなく結論が分かってしまった人も多いかもしれない。
私は、Twitterの発信でも「好き嫌いが激しいタイプ」と公言してるし、私の性格を理解している人も多いだろう。
「小川は人を選んで人狼ゲームをしている」と思われても仕方がない(事実なので否定もできない)
端的に言えば、私は「誰と同村するか」を人狼ゲームにおいて最も重要視している。
では、なぜ「誰と同村するか」にそこまでこだわっているのか。
もう一歩踏み込んで、本質的なところも解説していこう。
求めているものが人によって違う
大前提として伝えたいのが、どんなことをやるにしても、人によって求めているものが違う。
この事実を無視して、これから先を語ることはできない。
基本的に人間という生き物は、なにかしらの感情を満たすために行動している。
例えば人狼ゲームの場合、
- 人狼ゲームで「俺つえー」したい
→承認欲求を満たしたい
→みんなに認めてほしい - 推理を楽しみたい
→知的好奇心を満たしたい
→推理を当ててスッキリしたい
→不確実なゲームに身を投じて刺激を得たい - 合法的に人を騙したい
→爽快感を得たい - 仲間とのチームプレイを楽しみたい
→信じ合えた時の絆を感じたい
→仲間と力を合わせて勝った時の充実感を得たい
このように、人によって求めているものが違う。
もちろん、人間はここまで単純ではない。
色々な感情が入り乱れているので、大なり小なり承認欲求はあるだろうし、俺つえーしたいという気持ちもあるだろう。
しかし、人によっては極端に自分目線になっていることもある。
「私の推理は合っていた!俺はすごいだろう!俺のことをもっと認めてくれ!」
どこまでいっても、俺俺俺オレオレオレおれおれおれ…
ここまでくると、承認欲求の権化である。
こんなに同じ単語を繰り返すのは、承認欲求の強い人狼プレイヤーかジョジョに出てくるスタンド使いくらいだろう。
「オラオラオラオラオラ」「無駄無駄無駄無駄無駄」
脱線してしまった。話を戻そう。
若干のディスリは入ってしまったが、求めているモノに関して正解も不正解もない。
その人が満たしたい感情のために行動しているだけだ。
本人なりに一生懸命行動しているのだから、そこにケチをつけるのはナンセンスだろう。
しかし、求めているものが違う以上、必然的に合う合わないが出てくる。
例えば、
「みんなの意見を尊重して、丁寧に議論を進行したい。公平に勝負ができる人狼ゲームを楽しみたい」
と考えている人と
「俺つえーしたい。ゴリゴリ強い意見を言いたいし、自分の意見を通したい」
と考えている人は、根本的に反りが合わないことが多い。
なんなら、内心お互いのことを「気に入らない」と思っている場合すらある。
公平に勝負ができる人狼ゲームをしたいと思っている人は、承認欲求強めのプレイヤーを見ると「空気を読まずに自分ばっかり発言しやがって」と感じてしまいがちだ。
逆に俺つえーしたい人は、公平なゲームメイクをしようとしている人を見て「綺麗事ばかり言いやがって」と感じてしまうのではないだろうか。
お互い求めているものが違うので、物事の優先順位や行動・発言も別物になる。もう完全に種族が違うのである。
両者目線で「なんなの、こいつ」という気持ちになるのは、避けられない。
異世界モノのマンガで見かけるエルフとドワーフの仲が悪いみたいなイメージだ。
そんな両者が、議論がベースになっている人狼ゲームで意見を言い合うのだから、歪みが生じない方がおかしいのである。
あなたが大切にしたいものはなにか?
人狼ゲームにおいて「あなたが大切にしたいものはなにか?」という問いかけは、極めて重要だ。
人間誰しも、潜在的に求めている欲求や満たしたい感情がある。
しかし、それと同時に人間には理性が備わっている。
自分自身が胸を張って満足できる生き方をするためには、大切にしたいものを守っていかなければいけない。
それは多くの場合、尊厳だったり、優しさだったり、公平さだったり、献身的な気持ちだったりする。
ピンときにくいと思うので、例を出そう。
今、目の前に「お金がほしい」と思っている人がいることをイメージしてほしい。
その人は、家庭の事情でいつも金銭的に余裕がない。しかし、不遇な環境でも毎日を懸命に生きている。
心優しく周りの友人・知人を大切にする善人だ。「周りの人を大切にしたい」という尊い気持ちも持っている。
人を裏切らず、人を騙さず、自分に恥じない生き方をしてきた人格者でもある。
そんな人が「お金がほしい」という理由で、急に周りの人を騙して粗悪な商品を売ったり、詐欺にハメたりしたらどうなるだろうか?
おそらく精神が病む。もしくは精神が壊れる。
どちらにしても、健全なメンタルは保てないだろう。
「人を大切にしたい」と気持ちと、実際の行動に乖離が生じているので、正常なメンタルが保てなくなるのだ。
大げさに聞こえるかもしれないが、これは人狼ゲームにも当てはまる。
「相手に配慮したプレイがしたい」と思っている人が、強いプレイヤーに憧れて自分勝手なプレイをしだすと、すべての歯車が狂いはじめる。
いかにゲームといえども、自分が大切にしたいものを踏みにじるようなプレイをしてはいけない。
自身のメンタルを徐々に蝕んでいくことになるだろう。
「自分はそんなことしない」と思っている人であっても、環境次第では巻き込まれてしまうことがある。
同村しているプレイヤーが自分に合わない人ばかりだった場合、そのプレイスタイルに合わせすぎてしまうかもしれない。
もしくは強い不快感を感じてしまうかもしれない。
最悪の場合、二度と人狼ゲームがしたくないと思ってしまうかもしれない。
事実、初心者が自分と合わない上級プレイヤーと同村して、人狼ゲームからフェードアウトしてしまうことがある。
不幸な事故としか言いようがない。本当に残念な結末だ。
自分と価値観が違いすぎる人とは、同村を避けるのが賢明な判断だろう。
お互いの正義がぶつかり合うのは不毛の極み
どんな争いも、お互いの正義がぶつかり合うことで生まれる。
『正義』ほど、対立を引き起こすものはないのではないだろうか。
ワンピースに出てくる海軍大将『サカズキ』を見ていて、そう感じる。
私には、主人公のルフィよりもサカズキの方が悪役に見えてしまうから不思議なものだ。
人狼ゲームでも、人それぞれの『正義』が見え隠れする場面がある。
「勝つことが正義」と考える人もいれば「相手に配慮して公平に議論を進めるのが正義」と考える人もいる。
「自分が目立てばいい」と考える人もいれば「人に迷惑をかけないようにゲームを楽しもう」と考える人もいる。
それぞれ、持っている正義が違うのだ。
ここまで乖離があると、もう別の世界線で生きていると考えた方がいい。
お互いの正義をぶつけ合っても、本当にいいことがない。
その最たる例が戦争だと思っている。
お互いの正義をぶつけ合うと、間違いなく争いに発展する。
なんて不毛なのだろう…
自分の中で正義を持つのはいいが、相手に押しつけるのは決して良い選択とは言えない。
私は、そのように強く考えている。
人狼ゲームの本質は合コン?
ここで、ちょっとクズっぽい例を出していこう。
人狼ゲームをイメージする時は、合コンを想像してもらうと分かりやすい。
合コンも、人狼ゲームと同じように人とのコミュニケーションが重要視されるものだ。
そのため、満足度を高める要素が人狼ゲームと同じなのである。
合コンで最も大切な要素はなにか?
それは「誰が来ているか」である。
メンバー次第で楽しく満足度の高い合コンになることもあれば、逆に全然楽しくない合コンになることもある。
仮にイケメン・美女が参加していなくても、きちんとした場作りができるメンツであれば、合コンというのは充分に盛り上がるのだ。
さらにポイントになるのが、合コンは参加する人によって目的が異なるという点である。
ガチで恋人を探している人もいれば、遊び相手を探している人もいる。
付き合いで参加している人もいれば、その時が楽しければいいと思っている人もいるだろう。
今までの経験上、参加しているメンバーの目的・優先順位・価値観が近いと満足度が高くなる傾向がある。
例えば、私は合コンを開催する時は、女性陣の要望と男性陣の要望が合うように気を使っていた。
当時の私は20代で若かったこともあり、結婚などは全然考えていなかった。
どちらかといえば「楽しく飲めたらいい」という考えである。
こちらが「楽しく飲めたらいい」と思っているのに、本気で婚活をしている女性を呼ぶのは温度差がありすぎてよくない。
そのため女性幹事には「気軽に楽しく飲める相手がほしい」と考えている女性を中心に集めてもらった。
さらに、私が男性陣を集める際に気を使っていたのは、以下の2点である。
- 男性陣のバランス
- 共通ゴールの明確化
「楽しく飲みたい」と思っている人を集めるのだから、楽しく場を盛り上げられる男性陣を揃える必要がある。
この時に大切なのは、役割分担である。
- 果敢に切り込んでいくボケ役
- ボケ役にすかさずツッコむツッコミ役
- 女性陣の様子を見ながら話を広げる配慮役
- 場をまとめる幹事役
このような感じで、それぞれが役割を果たしていくと、合コンは盛り上がりやすい。
基本的に、場を盛り上げられないのは、笑いを起こすのに必要な人員がいないからだ。
果敢に切り込むボケ役がいなければ、笑いのきっかけが生まれない。そのため盛り上がらない。
ツッコミ役がいないと、ボケ役が滑りっぱなしでキツイ空気になる。
ボケ役のメンタルがボロボロになるのは必至だ。
ボケとツッコミだけが突っ走ると、話についていけない人も出てくる。
そのため、タイミングよく個別に話を振る必要がある。
すると、置いてけぼりになる人が出なくなるので、全体に一体感が生まれるわけだ。
そして、陰ながら面倒なことを引き受ける幹事がまとめ役になることで、進行がスムーズになる。
人には得手不得手があるので、メンバーの特性を押さえて布陣を組む必要があるのだ。
そして男性陣には、事前に共通のゴールを共有していた。
自分たちの合コンの目的は、楽しく飲める異性の友だちを作ることだ。
そのためお持ち帰りなどは二の次。「次につなげること」が最優先。
次につなげるためには、女性陣に楽しんでもらって「またやりたい」と思ってもらうことが大切だ。
仮に好みの女性が来ていないとしても、全力で楽しんでもらう。
楽しんでもらえたら、自然と次の会も開催されて新しい人との出会いも増えてくる。
本当に好きになる人が現れたら、その時は応援するから頑張って口説こう。
だいぶ前のことだから忘れている部分も多いが、ザックリこのような共通ゴールを設定し、合コンをしていた。
私たちは仲間内で「友だちを増やすためにやっている飲み会だから、合コンではなく友コンだね」と言って合コンを開催していた。
『友コン』というコンセプトを作ることでイメージも良くなったし、女性からの評判も上々だった。
何事も言い方は大切である。
男性陣で暴走する人も、ほとんどいなかった(厳密には1人いたが…)
参加してくれる人の満足度が上がると、必然的に「またやりたい」という声があがってくる。
そして、参加した人から数珠つなぎに紹介が生まれて、新たな友コンが開催されていくわけだ。
これが合コン、もとい友コンを途切れさせない秘訣である。
話が大きく脱線してしまったが、今までの説明でなにを伝えたかったかというと、結局合コンも人狼ゲームも「誰が来ているか」で9割決まるということだ。
それほどまでに、同村するメンバーは大切なのだ。
ただ1点、誤解してほしくないことがある。
こんなに偉そうなことを書いているが、私は、実際にはそれほど多くの合コンはしていない。
たしかに正確な数は覚えていないが、大した数ではないはずだ。
なんでこんな言い訳をしているのか自分でも分からないが、別にやましいことは何もない。
本当である。私は人間(村人)だ。
きっと潜伏預言者の白が当たっているから、投票しないでほしい…
人生の時間は”有限”という事実
多くの人が忘れがちだが、人生の時間は有限だ。
私たちは、遅かれ早かれ必ず死ぬ。人生に幕をおろす時が必ずやってくるのだ。
私は今37歳。
平均寿命が延びているとはいえ、残された時間は40~60年くらいだろう。
食事を楽しめる回数も、お酒を飲める回数も、好きな人と一緒にいられる時間も、すべて有限だ。
健康面なども考慮すると、今あたり前に楽しんでいることも、あと30年くらいしか楽しめないだろう。
私は、18歳の時に母親を亡くしている。
母親が亡くなった時の年齢は46歳なので、あと9年もすると母親の年齢に並ぶ。
昔、よく遊んでくれた兄の友人は、36歳という若さで亡くなった。
私にとって”死”は決して他人事ではなく、身近にあるものという感覚だ。
そんな感覚を持っているからだろうか。
「嫌いな人と付き合っているヒマはない」という考えを強く持っている。
嫌いな人と一緒にいてメンタルをすり減らすなんて『ムダ・オブ・無駄』だ。
残り時間が限られている以上、好きな人と一緒の時間を過ごした方がいい。
自分自身の幸せにも直結するし、周りにいる人にも良い影響を与えられるだろう。
限られた大切な時間を何に使うべきなのか?
一度、冷静に考えてほしい。
嫌悪感は簡単には払拭できない
人によって差はあるが、人は一度嫌いになった対象に関しては、なかなか嫌悪感を払拭できない。
発言ひとつ取っても、確実になにかしらの色眼鏡がかかる。
色眼鏡が強い状態だと、接触すればするほど嫌悪感が増すリスクもある。
お互いにとって良いことがない状況だ。
そうなる前に、嫌いな人とは距離を置いた方がいいだろう。
それに、人間は良くも悪くも忘れる生き物だ。
その時に感じていた嫌悪感も、時間と共に少しずつだが薄れていく。
失恋した時のつらさが時間の経過と共に薄れていくのに似ている。
時間をかけて嫌いな気持ちをなくしていくのがベターだろう。
それに、人というのは、そう簡単には変わらない。
変わっていくとしても、年齢を重ねるほど変わるまでに時間を要する。
嫌いな人が変わることを期待するより、その人と同村しないように工夫した方が建設的だ。
- 人はそう簡単には変わらない
→相手が変わることに期待しない - 負の感情も時間の経過と共に薄れる
→接触しないように距離を置くのが最善
結局、嫌いな人は避けるが吉なのである。
誤解していただきたくないのだが「小川が誘いを断った=嫌っている」ではない。
普通にスケジュールが合わなくて断ることも多いが、泣く泣く断っている場合も多々ある。
そういう時は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていることをご理解いただきたい。
嫌われる覚悟も必要
ここまではっきりと書いているくらいだから、私自身もある覚悟をしている。
それは「嫌われる覚悟」である。
コードギアスの主人公 ルルーシュ・ランペルージは「撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ」と言っているが、まさにその通りだと思う。
こちらが一定数、嫌いな人を作っているのだから、私を嫌う人が出てくるのも受け入れている。
「私は嫌いな人を作るけど、全ての人に好かれたい」なんて虫のいいことは思っていない。
「私のことが嫌いな人がいても仕方がない」という考えだ。
自分が撃つ覚悟を持っているからこそ、撃たれる覚悟も持っている。
ただここで、私のクズ的な考えを追加で伝えたい。
私は、嫌われる覚悟は持っているが、面と面を向かって「お前、嫌い」とは言われたくない。
普通に傷つくからである。
表現を変えるが、仮に殴られる覚悟があるといっても、殴られたら痛い。
あたり前だが、決して殴られたくはない。
殴られたいと思っている人は、相当なドM属性がある人だけだろう。
それと同じで、覚悟を決めていても直接悪口を言われたら多少なりともダメージはあるのだ。
だから私は「悪口を言うなら私のいないところで、かつ私の耳に入らないようにしてほしい」と思っている。
別に陰口を肯定しているわけではないし、陰口を言ってほしいとも思っていない。
もし仮に言われるのであれば、そのようにしてほしいという話だ。
「文句があるなら直接言ってこい」という人もいるが、私はそうは思わない。
個人的には、直接言ってこられる方が迷惑だ。
例えば、筋肉ムキムキでめちゃくちゃ怖い人が「お前に文句があるから、ちょっとツラ貸せや」なんて言ってきたら、普通にガクブルする。
そんなの絶対にイヤである。
「お願いですから、私の知らないところで文句を言ってください」と思っている。
自分の知らないところで言われているなら、私はその事実を知らないのだからノーダメージだ。
ダサいことを書いている自覚はあるが、それが私の自衛手段なのだ。
好きな人と同村した方が100倍いい
今回の記事で伝えたいことを要約すると以下の3点だ。
- 誰と同村するかが極めて重要
- 嫌いな人との同村は避けた方がいい
- 好きな人と同村した方が圧倒的に満足度が高い
人狼ゲームは、同村する人次第でクソゲーに変貌を遂げてしまう恐ろしいゲームだ。
だからこそ私は、同村するメンバーを気にするし、同村したくない人がいれば参加しない。
全人類に共通するのが、いずれは死ぬということだ。
仕事でもプライベートでも、極力嫌いな人がいない方がいい。
その方が圧倒的に幸福度が高くなるからだ。
人狼ゲームも、限られた人生を充実したものにするためにやっているはずだ。
であれば、嫌いな人と同村する理由なんてないと思う。
あなたの価値観と近い人と同村するようにすれば、不快な思いをする可能性は大幅に下がる。
気の合う人と同村するように心がけてみてはいかがだろうか。
もちろん、今まで書いてきたことは私個人の考えなので、押しつけるつもりはない。
結局、人生なんていうものは、自分なりの答えを見つけていくしかない。
流されて他者に合わせているだけでは、決して満足感は得られないだろう。
あなたにも、自分なりの答えを見つけていただきたいと思っている。
今回の記事が、あなたの人狼ゲームライフにプラスの影響を与えられたら嬉しい限りだ。
さっぽろ人狼図鑑プロデューサー 小川こうじ
こちらの記事もおすすめです。